伝説的な軍師『山本勘助』
武田軍の伝説的な軍師「山本勘助」。
出自や履歴に不明な部分が多い謎の戦国武将である。
その優れた戦術を武器にして武田軍の作戦立案に大きく貢献した。
また、城作りの名人として築城の分野でも活躍していた。
第四次川中島合戦では妻女山にいた上杉謙信を誘い出すため「キツツキ戦法」を考案するが、謙信はこれを見抜いて「車懸の陣」で応戦し武田軍は一転して不利な戦況となってしまう。
この作戦失敗に責任を感じた勘助は敵陣へ躍り込み壮絶な最期を遂げた。
詳細情報
- 生没年:?年?月?日〜1561年9月10日(?〜永禄4)
- 肩書き:武将
- 出身地:不明
- 通称:山本勘助、道安、道鬼斎
- 享年:69歳
年表
- ?年:?で生まれる
- 1536年:今川家への仕官を試みる
- 1543年:板垣信方の推薦により武田家への仕官に成功
- 1546年:諏訪を平定する
- 1548年:上田原の戦いに参戦
- 1553年:海津城を築城する
- 1561年:第四次川中島の合戦で戦死
山本勘助肖像画
スポンサードリンク